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2016-03-15

① 太平洋岸からアンデスを越えアマゾン川源流までの旅

《このテーマは、相澤篤が数回に分けて書いてみます。》
「マウンテンバイク、トレッキング、高所登山を組み合わせた、AROUND SEVENTYの1ヶ月間に亘る大冒険!」などという大袈裟なタイトルで、登山用品・アウトドア用品を扱うM社等のご支援を受けた旅に昨年(2015年)8月中旬から9月中旬にかけてチャレンジしました。
後日、AROUND SEVENTYって、「幾つなの?」と問われました。まあ、一般的な定年後の65歳を過ぎたら同じじゃないかな~と曖昧に答えました。70歳になるには、まだ数年ありますので、まあ、元気なうちの第1回目のチャレンジとしておきます。
 
先ず、ルートですが、マウンテンバイクとトレッキングでの総移動距離は、大雑把にいえば約900 km程度です。
 
《参考:友人が調べてくれたグーグル・マップによる暫定データ_マウンテンバイクとトレッキング》
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・太平洋岸の町チンボテ ~ユラマルカ : 130 km
・ユラマルカ~カニョン・デル・パト~カラス : 50 km
・カラス~ヤンガヌコ谷峠~ヤナマ : 81 km
・ヤナマ~チャカス : 53 km
・チャカス~ウルタ谷峠~カルワス~ワラス : 113 km
・ワラス~パストルリ氷河付近 : 71 km
・パストルリ~ワヌコパンパ : 82 km
・ワヌコパンパ~ケロパルカ : 65 km
その後【ワイワッシュ山群トレッキング (一部マウンテンバイクで移動)】
・ケロパルカ~カルワコチャ : 12 km
・カルワコチャ – ハンカ (ミトゥコチャ往復) : 13 km
・ハンカ~マタカンチャ : 8 km
・マタカンチャ~ハワコチャ : 13 km
・ハワコチャ~ワクリッシュ~ハワコチャ : 3 km
・ハワコチャ~ミナパタ~ポクパ : 17 km
・ポクパ~チキアン~ワラス : 141 km
〖以上、マウンテンバイク & トレッキングTOTAL距離 : 852~約900 km〗



【マウンテンバイクとトレッキングで越えた主な峠の標高】
Portachuelo(4767m)~Olimpica(4890m)~Huarapasca(4780m)~Yanashallash(4680m)~Carhuac(4650m)~Cacanan(4700m)~Sanbunya(4750m)~Minapata(4750m)~Mojon(4268m)~Conococha(4050m)


〖マウンテンバイク走行後の高所登山〗
・ワラス (標高3090m)~パシュパ村 (3600m)~ベースキャンプ (4400m)
・ベースキャンプ (4400m)~ハイキャンプ (5200m)
・ハイキャンプ (5200m)~Tocllaraju〔トクヤラフ峰〕頂上 (6032m) ~ベースキャンプ (4400m)
・ベースキャンプ (4400m)~パシュパ村 (3600m)~ワラス (3090m)
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チャリンコの旅、トレッキングの旅、そして、高峰での氷雪登山、どれもこれも私にとっては貴重な経験となり、限られた紙面では、語りつくせない、書きつくせない話題です。とういわけで、これは、シリーズで複数回に分けて掲載します
先ず、本題に入る前に、「冒険」という大そうな言葉を少しばかり整理させていただきます。

私は、サラリーマンの忙しい仕事を抱えていた頃から、アンデスでの一人旅と登山にハマッテいました。それは、私の場合、ある意味で無知のままの行動で、それそのものが『冒険』と表現できるのかもしれません。見たもの聞いたもの全てが印象的でしたが、冷静に考えると、単に運よく無事に帰れた一人旅でした。

何かの本で読みましたが、『「好奇心」、それは人類に与えられた特質である。その好奇心を充足するために、人は時に生命のリスクをも省みず未知の世界に一歩を踏み出す。その行為を「冒険」と呼ぶ。』とか『冒険には危険や、成果を上げられる確率の低さがつきもので、この意味でいつの時代にも未知なものへの挑戦、探検もすべて冒険と呼ばれてきた。』とありました。冒険と名の付くものは全て過酷を伴いますが、結果として、単なる過酷となるか心地よさを伴う活動になるか、運次第、あるいは自分自身の感じ方次第で、予測し難い活動のような気がします。
殆どが単独行だった冒険家・植村直己に、若い頃、憧れていましたが、あのようなことは、既に難しい私です。それでも、「自然の中で原点にかえることが、人間にとってどうしても必要だ」と伝えてくれた彼の言葉は、私の活動にとって励みになっています。



今回の旅を想い描いた当初、自分自身にとっては、「冒険」という感覚もない企画でした。周囲の人たちが今回の私の旅を冒険とした背景には、『年寄りの冷や水を越えられるか』ということだったと思います。今回、若干の支援を受けてた条件を律儀に思い、制約された1ヶ月間という時間の中で、全く異なったコスタ、シエラ、セルバに区分される気候風土を巡る順応性、海抜0~6,000mの標高への順応性、未整備のルートを辿る洞察力と技術力、そして、疲労蓄積の克服といったことが興味の対象だったかもしれません。
その結果ですが、肉体的な衰えは、人として当然あることですが、まだやれる可能性を「自ら捨て去る必要もない」と思っている今日この頃です。

それでは、前置きがながくなりましたが、先ず、大雑把な旅の概要から書いてみます。
マウンテンバイクで太平洋岸の町・チンボテからスタートし、サンタ川に沿ってネグラ山群を越え、6,000m峰が連なるブランカ山群の峠を縫ってマラニョン川の支流を集める小さな町・ヤナマへ。そして、チャカスからブランカ山群を再び越えました。その後、アマゾン川の一支流であるマラニョン川最上流部まで進み、太平洋と大西洋の分水嶺の位置づけになるワイワッシュ山群をトレッキングと一部マウンテンバイクで廻りました。そこでは、6,000m峰を仰ぎながら、幾つもの4,600m以上の峠を越えて再びサンタ川へ戻る概算900㎞の旅でした。そして、旅の締め括りに、好きな登山を堪能したくて、氷雪のトクヤラフ(6,034m)頂上を踏み、帰国の途につきました。


 
なお、今回の旅は、単純に「年寄りが楽しむ一人旅」をしたくて検討をはじめました。幸運にもバックアップしてくださる会社もあって、夢想が具体化した結果でした。実際には、これまでのエクアドル、ペルーでの一人旅の気楽な感覚で実行の準備を進めていくと、沢山の心配事が目の前に現れました。書き連ねると長くなりますが、例えば、1ヶ月間という限られた時間内で、未知のルートを辿ることを可能とするための治安上の心配事(外務省からの危険情報の地図を見ると、直線的なコースの選択は出来ない)、健康上のトラブルに対する心配事、テント泊が殆どとなる装備や食事の搬送の心配事、あるいは、それらの心配事を解決するための経費の追加、まあ、挙げればキリがありませんでした。




最終的には、現地の協力者(現地の旅行社を営む井上晶さん、ケチュア(Quechua)語を公用語としている現地の国際山岳ガイドのアグリピノ(Agripino Henostroza Vargas)さんのアドバイスを素直に聞き、治安だけでなく体調や逐次の現地情報の変化にも備える体制で準備を整え、実行できたことが今回の満足を得た大きな要因と実感しています。また、当初の企画決定後、私と同じ日本登攀クラブOBの玉上正行さんが同行することになったことは、一層の心強さを獲得させてくれました。玉上さんは気心知れた友人で、私よりも2歳ほど若く、7月に65歳を迎えたばかりのAROUND SEVENTY(?)です。一人旅では味わえない一種の競い合い、励まし合いは、マウンテンバイクのペダルを踏み、氷雪の山の斜面を登る力となりました。それだけではなく、多くの花や鳥を含めた森羅万象の楽しみ、そして、旅先での老若男女の明るい笑顔との出会いは、改めて2倍の感覚を共有できた賜物として、友人の有難さを感じさせてくれました。
 
それでは、そろそろ、アンデスを越えたい、興味ある皆さんと共有する情報をお伝えしますね。個人的には、動植物を含めた「自然」や人々との交流や「文化」の話題を幾つか紹介させていただきたいのですが、それは、今後の報告としてご期待ください


今回のブログでは、先ず、スタートからの1週間のダイジェストとして写真を並べるだけにします。参考になれば幸です。
マウンテンバイクの旅は、ペルーの首都・リマ(Lima)から北へバスで約430㎞の漁港・チンボテ(Chimbote)までバスで移動し、そこからスタートしました。
Negra山群を越え、Blanca山群を越えてアマゾン川支流のMaranon川上流の村々に至りました。この後、何度かBlancaを越えることになりますが、先ずスタートからマウンテンバイクで移動した1週間程度の間の情景を写真で紹介します。

以下の辿った前半1週間のルートの写真は、次回以降紹介します。
Chimbote⇒RioSanta⇒CanondelPato⇒Huarca⇒Llanganuco⇒Yanama⇒Pupash⇒Chacas⇒PuntaOlimpica⇒Shilla(Huarazへ)